『せっこついんのお店を持つ』
小学校の卒業アルバムに書いた「15年後の自分」
これがすべての始まりです。
当時私の母は、阪神大震災の際、必死に小さな私を守るため無理をしてしまったことで、股関節を痛めてしまい、足を引きずるようになっていました。そんな母の足の痛みを楽にしてあげたいと、よくマッサージをしていました。しかし、マッサージだけでは一時的にしか痛みを和らげることができない。どうすれば母の足はよくなるのか・・・そんな経験から、子供なりに導き出した精一杯の「夢」だったのです。
中学から柔道に出逢い、高校、専門学校と9年間柔道部に所属し、心・技・体を磨く柔道に捧げた青春時代。兵庫の伝統校、報徳学園に入学し、もっと強くなりたいと練習に明けくれる毎日。試合に向けて強くなっていく充実感を感じていた高校2年の春、練習中に内側側副靭帯、後十字靭帯断裂により、大好きな柔道ができなくなりました。
医者からは手術を勧められ「元のパフォーマンスは二度とできない」と告げられ、これまで柔道しかやってこなかった私は、真っ暗闇のドン底でした。手術をしても1年は復帰にかかるし、試合にも間に合わない。今までの血のにじむような努力は無駄だったのか・・・元のように動けるようになるためには、どれぐらい時間がかかるのだろうか。恐れと不安でいっぱいでした。
そんな私に希望を与えてくれたのが、他ならぬ整骨院の先生でした。今の現状をわかりやすく丁寧に説明してくれて、どうすれば一番早く良くなるか、親身に考えてくれました。その結果、手術ではなくトレーニングによる膝周囲の筋力強化によって、1年と言われていたところ3ヶ月で復帰し、半年後の大会では優勝することができました。それからも膝をかばいながら練習すると、腰や上半身にまで負担をかけることになることを身をもって体験し、その度にストレッチやトレーニング、早めの治療を通して、以前よりもパフォーマンスが上がったことを実感しました。
この経験を通して、自分と同じ様に苦しんでいる方にも一日も早く良くなって欲しい、楽になって思いっきりプレーに集中してもらいたい、と強く思うようになりました。
それは、小学校の時の小さな夢と、自分の高校での実体験、点と点が線で結ばれた瞬間でした。
高校卒業後、すぐに資格を取るために専門学校に通いながら、技術を学び臨床に触れるため、治療院で修行しました。そして、一つの疑問も生まれました。
当時、修行していた、ある院ではマッサージを軸に患者をひたすら揉みまくる。強く指圧し続けることで有名でした。肩を何回押す、揉む、と部位で決められており、同じパターンを永遠に続ける流れ作業。一日平均100名をゆうに超える患者数。しかし、毎日、マッサージを受けにくる患者は一向に治る兆しがありません。それどころか、強い刺激に慣れてしまった患者はさらに強い刺激を求めるという悪循環に陥っていました。
「本当にこれが患者のための治療なのか?」私はこの疑問を解決するため、早々にこの院を去り、これ以上、犠牲者を出さないように本当に患者に良くなって喜んでもらえるための最善の治療を追求するようになりました。
学生時代にいろんな治療院を見て修行したことによってさまざまな種類の手技や臨床の経験が今の私の治療の土台となり、いかに早く安全で、根本から良くなってもらうか?
この事を常に考え、模索し、試しては変え、試しては磨き導き出した答えが「姿勢改善」です。
この想いを体現するため、12歳の当時、思い描いた夢を約束通り15年後、27歳の時に先端医療の街、神戸の地で「いとう鍼灸整骨院」の開院を実現しました。